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「これが朋也のだ。久しぶりに作るお弁当だから、少し心配だが……でも、愛情は前よりもずっとこもってるぞ?」

「いや、お前が作る物に不味いものはないよ」

「そ、そうか?うん、そう言ってくれると嬉しい」

「ありがとうな。すっげぇ助かる」

「朋也……」

「智代……」

「朋也……!!」

「智代……!!」

「あんたら、人の部屋で勝手にいいムード作らないで欲しいんですけどねぇっ!!」

 誇りっぽい部屋の中で、悲痛な叫びが響く。それによって、俺と智代はバラ色の世界から現実へと引き戻されてしまった。

「何だよいきなり大きな声を出して」

「非常識な奴だな」

「あんたらみたいにいつでもどこでもラブラブ空間作り上げる人に言われたくないね」

 そう言って春原は手を取り合っていた(いつの間にかやっていた。自覚まったくなし)俺達に冷めた視線を投げかけた。

「つーか、ここ僕の部屋なんですけどね、あとほんの少しぐらいは」

「違うだろ?」

「そうだよっ!」

「おいおい、春原。何だお前、覚えていないのか?ずっと前に、『岡崎ぃ、僕の親友でいてくれてありがとうっ!この部屋、岡崎に譲るよ』って言ってたじゃないか」

「え?マジで?」

「ああ。あの時の感動を、熱い友情を、お前は忘れちまったって、俺達の絆はそれぐらいのもんだって、そう言いたいのかよっ」

「岡崎……ごめんよ、僕、そんな大事なことを忘れていたんだね」

「はっ、所詮人と人の絆なんてそんなもんさ……お前も俺も、どうせ今日を最後に会うこともないだろうしな」

「そんなこと言うなよっ!僕とお前は、これからだって会えるし、ずっと友達さっ!」

「春原……」

「だから……そんなさびしいことを言うなよ……最後なんて言うなよっ」

「春原っ!!」

「岡崎ぃっ!!」

 がばっ、ひしっ!

「感動のシーンをすまないが、早く片付けないと美佐枝さんに叱られるぞ、春原?」

 智代が呆れて突っ込む気力もない、と言いたげな顔で言った。そういえば、智代はツッコミとかが苦手だったな。そうか、春原の相手をさせるとさすがに疲れるか。

「って、どう考えてもアンタが話をややこしくしてるだけなんですけどねっ!!」

「だから騒ぐのをやめろと言っているんだが」

 それはまさに一瞬。一秒にも満たない、瞬き一つ分の時間。

 しかしその一瞬で、智代は春原を百回ぐらいは殺せそうな殺気を放ったのだった。

「ひぃいっ!」

「まったく、お前達は仕方のないやつらだな……それより、これが春原、お前の分だ」

「ほえ?」

 春原は信じられない、と言わんばかりに差し出された弁当箱を凝視していた。

「朋也の友人に出さないというのはなんだか心が引けてな。お前の分も作ってきてやったんだ」

「智代ちゃん……僕、何か年が明けてから始めて人扱いされた気がするよ……えぐぅ、ぐひん」

「大げさだな」

 智代が顔を少し赤くして笑う。少しだけ春原を殴りたい気分になった。

「お前の分は?」

「うん、ここにあるぞ。何だったら、食べさせあいっこでもしようか」

「いや、いい」

 いつかそんなことをこいつとするんだろうか。「あーん」とか、そういう恥ずかしい真似を人前で堂々とするのだろうか。何だかありえなさそうでありえるところが嫌だった。

 そう思いながら、俺は弁当箱の蓋を開けた。タコさんウィンナーにアスパラのベーコン巻き、ミートボール、そしてご飯は丁寧に俵型のおにぎりになっていた。絶対に彼女の贔屓目とかを考慮してもすげぇうまそうだった。

「うお、やっぱすげぇ」

「ふふ」

「……あのぉ」

 和気藹々とした二人の雰囲気を、どことなく陰鬱とした声がぶち壊した。

「僕のお弁当、どう見てもただの海苔弁ですよね?」

「何だ、爆発したり裸になって踊り狂うような毒を混ぜて欲しかったのか?」

「それって普通の人の食べる物じゃないですよねぇっ!?だいたい、何でこんなマニアックで愛のかけらもないものを食べなきゃいけないわけ?」

「ん?それはおかしな物言いだな。お前は海苔弁が嫌いだったのか?」

「嫌いっていうか、ご飯に海苔を敷き詰めただけだったら行き過ぎっすよね?」

「でも、お前の実家ではそうやってご飯を食べると朋也が……」

「あんた自分の彼女に早速何で嘘吐くんだよっ!!」

「楽しいから」

「はっきり言い切るなよっ!!」

「お、智代、このアスパラ巻きは塩加減ばっちりだぞ」

「そ、そうか?うん、うまくできたようだ」

「そこで勝手に話題変えるなよっ!!」

 そんなふうに賑やかに俺たちは遅めの昼食を取った。

 

 

 

 

 

 

 お礼参り

 

 

 

 

 

 

 数日前、俺と春原は高校を卒業した。

 はっきり言わせてもらえばあまり楽しい三年間じゃなかったと思う。強いて言えば、こいつが一緒に馬鹿をやっていたから、何となく続けていたんだと、そう思う。だけど、全部が全部無意味だとは思わない。こいつとつるんでいたら、気がついたら智代と知り合った。古河と春原、杏と藤林の五人で演劇部を立ち上げた。ことみとも再開できた。そしていろんなことがあったけど、智代ともまた歩き出すことができた。

 だから、ちょっと前までは「早く卒業してとっとと自由になりてぇ」とか思っていたのに、いざとなってみると、どこか寂しい気がした。それは、恐らく長年俺達の根城として使っていた春原部屋から出て行くだけじゃなくて、もっと違う何かのせいなんだと思う。

 そのためなんだろうか。俺達はせめて精一杯この部屋を片付けることで、最後の一時を少しでも延ばそうとしていたのかもしれない。あるいは、失われた八ヶ月を埋め合わすように最後の時間を、智代が生徒会長になる前みたいに三人で楽しく過ごしたい、ただそれだけだったのかもしれない。

 

 

 

 

「にしてもなぁ」

 俺は買ってきたウーロン茶を飲み干すと、春原を見て言った。

「何だよ」

「金髪でも違和感バリバリなのに、黒に戻したら尚更だよな」

「それって僕の顔自体が違和感の塊って事っすかっ!!」

「まぁそんな感じ」

「言い切ったっ!!言い切りやがったよ、こいつっ!!ねぇ、智代ちゃんも何とか言ってやってよ」

「ともや。ひとをがいけんではんだんするのはよくないとおもう」

 表情を能面の如くまっさらにして、智代は抑場のない声で言った。

「……なんで棒読み?」

「ねぇ智代ちゃん、やっぱりこっちの方が似合うよね?ね?」

「うん、まともなしゃかいじんにみえるぞ」

「でしょでしょ。やっぱ智代ちゃんは話がわかるなぁ」

「……ぷく」

 それが限界だったのだろうか、智代は春原から顔を背けると、大声で笑い始めた。ところどころで「す、すまな……くーっくっくく」とか「い、いや、笑うべきでは……ぶふーっふっふっふ」とか混じっているところが義理っぽくて智代らしいな、と背中をさすりながら思った。

「大丈夫か、智代」

「あ、ああ。もう大丈夫だ。すまない、春原。許せ」

「心配すんなって。俺もこいつが髪を黒く染めたのを最初見た時は三日ほど笑い転げてたな」

「三日もかっ!!その間の食事とかはどうしていたんだ?」

「まあ、それなりに」

「就職活動とかもやっていたんだろう?三日間笑い転げて支障は来たさなかったのか?」

「まあ、それなりに」

「だいたい、人はカフェインなども摂らずに一睡もしなければ三日は持たないと言われているぞ?お前は大丈夫だったのか?」

「まあそれなりに。というわけで、まあよく今まで持ったな」

「あんたら、さっきから僕のことをネタに盛り上がらないでほしいんですけどねぇっ!!」

 春原が涙目になって俺達に叫んだ。

「そういやさ、お前、こんだけ騒いでていいのか?」

「へ?何で?」

 ぽかん、と春原が俺を見た。

「普通ならお前こんだけ絶叫してたらさ、『静かにしろぉ』とか言って壁を蹴られたりしないか?」

「ひ、ひぃいいいいっ!!って、あれ?何でだろ」

 皆さんお馴染みの「ひぃ」からふと真顔に戻る春原。

「へっ、多分僕の怖さにようやく気づいて、恐れをなして逃げてったんだよ」

「何だお前達は。こんなところでケンカとかをしていると、美佐枝さんに迷惑がかかるじゃないか」

 はぁ、と智代がため息を吐く。

「で、就職ってお前どこに行くんだよ」

「ん。ほら、芳野祐介って人、いただろ」

「あー。あの結婚式の人ね」

「その人の紹介でさ、電気工になるんだ」

 へぇ、と春原が身を乗り出してきた。

「肉体労働じゃん。大丈夫なわけ?」

「まぁ、何とか……一応、バスケ部だったしな。それに、俺だって嫌だ嫌だ言ってられる訳じゃないからさ」

「ふーん……まぁ、そうだね」

 俺の視線の先に智代がいるのに気づいて、春原は笑った。

「でも肩とか大丈夫なわけ?右肩上がんないんだろ?」

「まぁ……何とか工夫してみるけどな。だめだったらその時はその時さ」

「その時は、私が一言物申してやろう。朋也が頑張っているのに、そんな理不尽なことがあってたまるか」

「いや、いい。何とかするさ」

 智代の「一言申す」が何となく面倒な結果になりそうな気がした。本人は大真面目で言っているんだろうけど、何となく智代はこれと決めたら一直線で走る傾向があるから、後々が大変になる気もする。その反面、そんな智代に一途に思ってもらえていることが恥ずかしくもあり、嬉しくもあった。

「それよか、お前の就職、どうなったんだっけ」

「ん?ふふん、もちろんもう内定もらってるさ」

「よかったな、日光でも頑張れよ」

「へ?何で日光?」

「サル軍団に就職じゃないのか?」

「ちがうよっ!!」

「サル達を手懐けて、『春原軍団』に改名。もちろん軍団長は一番強くて頭のいいお前な」

 そこまで言うと、春原はまんざらでもなさそうな顔をした。

「ぐ……軍団長かぁ……それって、やっぱいいわけ?」

「ああ。テレビでもお前の名前が大々的に放送されるだろうし、飯だってお前が一番最初に一番美味いのもらえるし、いい事尽くしだぞ?」

 サル扱いだけどな。

「う……いいかもしんない……」

「そうそう。じゃあ、今すぐここの番号をコールナウ」

「あ、ああ、そうさせてもらうよ……って、これじゃあ僕、お猿さんですよねっ!!」

 ちっ、土壇場で気づいたか。

「で、お前の内定はどういうところなんだ?」

 やれやれ、とため息をつきながら智代が脱線した話を戻した。まったく春原め、俺の彼女に余計な手間をかけさせやがって。

「どう考えてもお前が問題起こしてるんだろうがぁぁっ!!」

「そう騒ぐなよ、暑苦しいぞ、お前」

「誰のせいだと思ってるんだよっ!!」

「お前だろ」

「何でだよっ!」

「いいから、胸に手を当てて、深呼吸してみろ」

「え、あ、ああ」

 右手を胸につけて、春原は律儀に目を瞑って深呼吸をした。

「頭の中で十秒、字面を思い浮かべながら数えてみろ」

「……」

 神妙な顔の春原。しかしだんだんとそれに苦悩の表情が表れてきて、ついに目をかっと見開いた。

「岡崎ッ!!」

「おう」

「八って古い書き方でどう書くっけ?」

「誰が大字で書けと要求した」

 ちなみに正解は捌。

「そ・れ・で?内・定・の・話・な・ん・だ・が?」

 思い切りいい笑顔で智代が迫る。あー、怒ってらっしゃる智代大明神。ここは春原を生贄にして……と考えていたら、ぎろり、と睨まれてしまった。先を読まれてるんですねわかります。

「あ、ああ、うん。もうね、いろんなところで蹴られてさあ、結構やばいなぁ、を通り過ぎて、もうやってられるか、って感じだったんだけどさ」

 昔なら笑い飛ばしていたであろう春原の台詞。しかし今の俺にはその言葉の重さがよくわかった。だからそのまま聞いているしかなかった。

「そしたら、何だか小さな会社から手紙が来てさ、面接したいって」

「は?」

 俺は首をかしげた。即面接?筆記試験とか、電話でのインタビューとか、そういうのなかったのか?

「え?あーっと、いや、なかったね。僕の履歴書を見て、ぴったりだってさ。職場も明るい人ばっかりで、恐らく僕に最適って」

「……他にはどういうことを言ってた?」

「えーっと、そうそう、若い人ばっかりだから話も合うだろうってさ。よかったなぁ、オッサンばかりの職場ってさ、ちょいと勘弁したいしね」

「……」

 この時点で、智代も眉をひそめ始めた。恐らく生徒会長の仕事をやっているうちに、似たようなケースにぶち当たったのかもしれない。

「なあ春原、その職場、やっぱり人がどんどん辞めてったりするのか」

「えー、しないでしょ。離職率低いのが自慢だってさ」

「……春原、お前は進路を決めるときに、『ブラック企業はこうやって見極める』というパンフレットを読まなかったのか?」

 智代が恐るおそる聞いた。すると春原は案の定、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。

「何それ?ブラック企業?何だかかっこいい名前じゃん」

 ブラック企業。またの名をブラック会社とも言うの。外から見ればいい会社なんだけど、一旦入ると、みんなすっごくすっごくお仕事しなきゃいけないの。おうちに帰らせてもらえればいいほうなの。労働基準法なんて都市伝説扱いで、ぼろぼろになるまでお仕事なの。だからみんなすぐ辞めていくから、簡単に人を雇って使い捨てる、いじめっ子な会社なの。(KOTOMIDAS 第五判より抜粋)

「あのな、若い人ばっかりってのは、つまりそういう奴らを集めて襤褸切れになるまで働かせるから、年食うまでその会社にいないってことだ。すぐに面接するってのは、面接なんて鼻からやるつもりないんだよ」

「へ?じゃあそれって僕、不採用ってこと?」

「違う、逆だ。十中八九、お前は即採用だな」

「へぇ、やりぃ」

「よくない。つまり相手としては人がどんどん辞めてったりするから、選んでいられないってことだ。大量に人を雇って何とか回ってる、危ない会社でもあるな」

「で、でも、離職率……」

「この世界のどこに高い離職率を宣伝する会社がある」智代が難しそうな顔をして言った。「例えば、お前の前にかわいい女の子がいて、やたらめったら、『ねぇ春原君、あたし、実は援助交際でしたっていうオチないからね』とか、不自然なまでに言ってきていたらどうする?」

「……えっと、信じる」

 その一言で、智代はこめかみをさすった。

「だいたい離職率って、どうやって計算してるんだよ?恐らく正社員の離職率って事だと思うぞ」

「へ?僕、会社に入ったら正社員じゃん」

「そうとは限らん。最初のうちは『試験期間社員』とかそういうのだろうな。で、そこでブラックさがわかってどんどんやめていく、と」

「……うー、どうしよ」

「どうするよ、お前?」

 むぅぅ、と俺達は腕組みをして唸った。しかししばらくすると、春原はすっくと立ち上がって宣言した。

「ま、悩んでてもしょうがないか。なるようにしかならないってば」

「……はぁ」

「というわけで、僕は寝るよ。加藤は寝て待て、って言うしね」

「加藤って誰だよ」

 俺がぼそりと突っ込んだが、春原の耳には届いていなかった。すると智代が体をわなわなと体を震わせ、そして

「片付けの途中で勝手に寝る奴がいるかぁあああああああああああああああああ」

「おぼぼぼぼぼぼぼぁぁぼぼぼぼぁぼっ」

 おー、空を舞ってる舞ってる。そう思っていると、春原が「ぼはぁ」という奇声を上げて着地した。

「……し、死ぬ」

「久しぶりの感触だろ」

「正直、もう味わいたくなかったっす」

 まったく、仕方のないやつらだな、と智代が腰に手を当ててため息をついた。

 

 

 

 

 実を言えば、俺達が休憩中にだべっていたのには理由があった。とどのつまり、休憩時間をできるだけ引き延ばそうという無駄な抵抗だったわけだが、今になってみればそんな無駄な労力を使わずに体力を温存させておくべきだったのかもしれない。

「春原、これは何だ?」

「へ?あ、ああ、ゴミだね。うん、今捨てるよ」

「さっきもお前はここらへんのゴミは捨てたといっただろう?それだけを捨てずに、他にゴミがないかチェックしろ。そこにあるのは何だ?」

「ひぃぃいっ」

「む、朋也、ちゃぶ台を拭くのはそうじゃないだろう?もっとごしごしとだな、手首を使って、そうだ」

「……きついな、これ」

「これぐらいでへこたれないでくれ……だからそうじゃなくてだな」

 何だか俺、智代の綺麗好きが何で家族に「問題」扱いされているのか、わかった気がした。

「岡崎」

「なんだよ」

「お前、これから大変だねぇ」

「……言うなよ。実感するだけで体が重くなってくる」

 確かに肉体労働でこれから食っていく身としては、休日にこういうハードコアな掃除をさせられるだろうという予想は楽しくない。智代じゃなかったら絶対に即別れるだろう。

「どうしたんだ、二人とも?元気を出して、笑顔で掃除しよう」

「……あんた、すげえ元気っすね」

 げんなりとした顔で春原が言うと、智代は眩しい笑顔で答えた。

「掃除に料理、お裁縫に家計簿、これらがうまくてこその大人の女性だ。うん、これは女の子らしいんじゃないか?」

「……岡崎、何か言ってやれよ、お前の彼女だろ?」

「すっげぇ女の子らしいな、智代」

「ありがとう、朋也っ!お前ならそう言ってくれると思ってたぞっ」

「って、何言ってるんだよ岡崎っ!!」

 春原がわめきたてていると、部屋のドアが開いた。

「ちーっす、陽平いる?……って、はぁ?」

 杏は扉を開けたまま口をあんぐりと開けた。

「杏!?」

「あれ?どうしてここに?」

 俺達も驚いて杏の顔を穴が開くほど凝視した。まぁ、春原じゃないから開かないんだけどな。

「さ、坂上智代っ!何であんたがここにいるわけ?」

「私は朋也に頼まれたから春原の部屋の片づけをしているだけだ。そういう貴女こそ、何でこんなむさ苦しくて汚いところに?」

「むさ苦しくて汚いところで悪かったっすね……」

「あ、あたしはあれよ、ほら、どうせこれで陽平の馬鹿面見るのもなくなるんだし、最後にとどめ、じゃなくて人生のフィナーレを飾ってあげようと思って……」

「結局僕死ぬ運命なんですねっ!?」

「落ち着けよ春原」

 俺は春原の肩に手を置いた。鼻息の荒かった春原が、ふと俺のほうを振り返った。

「岡崎……」

「春原、人はな、いつかは死ぬものなんだ。悲しいけど、それが運命ってもんだ」

「……」

「だけどな、春原。考えても見ろ。あの、藤林杏だぞ?仲間の女の子に看取られて死ぬなんてさ、男として本望じゃないか」

「そ、そうかな……そうかも」

「だろ。ほら」

「岡崎……」

「逝って、こいよ」

「わかったよ……って、何勝手に僕の死を脚色してるんすかねぇアンタはっ!!」

「ちっ、ばれたか」

「舌打ちしないでよ!そんなに僕が死ぬの好きなんすかアンタ?!」

「今更」

「うわーい思いっきり肯定されてますよっ!!」

 とまぁ俺達が馬鹿な話を繰り広げている間に、向こうも何か話しているようだった。

「坂上智代、ちょっと付き合ってくれる?話があるの」

「……そうだな、うん。すまない、二人とも。少しの間自分達でやっていてくれ」

 そう言って、智代と杏は部屋を後にした。

「……心配?」

 春原が聞いてくる。

「何が」

「杏と智代ちゃんのこと」

「……また喧嘩しないだろうかってことか」

「ま、ね。そうなったら、この部屋も片付ける前に吹き飛んじゃうわけだけど」

 うしし、とこれまた不気味な笑い声を上げて、春原は段ボールに物を積めた。

「あのさ。何があったわけ」

「……別に。ただ」

「ただ?」

「お互い素直になったってだけだよ」

「……素直、ねぇ。まぁ、傍から見てりゃ二人とも未練ありありに見えたけどね」

 そうか、と俺は苦笑した。伊達に俺と馬鹿を三年もやってないな、とふと感心した。

「いつからまた付き合い始めたの」

「卒業式が終わってから」

「あっそうですか。あーあーやだねー、こっちが卒業式の二次会盛り上げてる隙に朋也君は智代ちゃんとラブラブになってるんだもんね」

 そこで春原は笑った。今までのヘラヘラした笑いじゃなくて、どこか晴れがましい笑顔だった。

「ちゃんと責任とってやりなよ。やっぱいい子っぽいし」

「……責任、か」

「僕のことを乱暴に扱わなけりゃ、僕が彼女にしてあげてもいいくらいさ」

「てめえ、俺の智代に何色目使ってやがる、あァ?」

「三日前に復縁した割にはすでにバカップルっすねアンタっ!!」

 胸倉を掴む俺に白目をむく春原。そんな光景がおかしくて、そしてそんな光景をこれから見ていけるかどうか全く自信がなくて、俺は少し笑った。

「ま、僕から見りゃ今の岡崎が一番岡崎らしくないね」

「らしくないってどういう意味だよ」

「僕が三年間馬鹿やってた岡崎ってのは、特に何にもやらずに人の部屋で出もしない茶をせがんで人の漫画読み漁ってる奴だからさ。見てると不安になるんだよね」

「不安?」

「そ。何つーか、僕も変わんなきゃいけないかなってね」

「お前これ以上突然変異したら、どうなるかわからないぞ」

「僕は元々突然変異なんかじゃないよっ!!」

「実はお前、小さい頃に事故にあってさ、それから変わっちまったんだ」

「何で岡崎が僕の過去なんて知ってるんだよっ!!」

「どうせつまんないんだからよ、思いっきり面白い話にしようぜ」

「僕の人生を勝手に捏造しないでくれませんかねぇっ!!あー、くそっ、そういうところは変わってないよなあんた!!」

 まぁ、そういうことか。

 俺も、こいつも、いろいろ変わっていくんだろう。今の俺は春原にしてみればらしくないのかもしれないし、数年後俺が会う春原もまた、らしくないと感じるほど大人になっているのかもしれない。

「いや、それはないな」

「何の話だよ」

 その時、部屋のドアが開いてその前に立っていた春原を壁に打ち付けた。

「あーっ、ゼンゼンはかどってないじゃないっ!」

「まったく、仕方のない奴らだな」

「だいたい、陽平どこ行ったのよ」

「……ふ……じばやし……きょう…てめぇ……」

 ん?と杏がドアの後ろを見て、顔を引きつらせた。

「朋也、害虫を潰したんだったら、そのままにしてたらだめじゃない」

「悪い、あまりに気色悪いんで、つい」

「あんたら失礼もいいところっすよね!」

「杏はそっちの方を頼む。私は、この一画を何とかしよう」

「オッケー。ほら、あんたも壁に張り付いてないで手伝いなさいよ」

「ひぃいいっ」

 そんな風にいつものドタバタが始まったが、その時俺はふと首をかしげた。

 あれ?智代と杏って、こんなにすんなり団結したっけ。

 そう思って智代の横顔を覗いてみた。うん、綺麗だ。惚れ惚れするほど綺麗だ。

「な、何だ、さっきから」

「いやぁ、お前の横顔に見とれてた」

「っ!そ、そんなことを大声で言うな、馬鹿っ!」

 顔を真っ赤にして智代が怒る。うん、やっぱ綺麗だ。綺麗なんだけどな。

 その頬の少しばかり不自然な赤さと光る筋は、やっぱり隠せなかった。何というか、頬を叩かれたらちょうどそうなるだろう感じだった。光る筋は、涙の痕だろうか。

「あ」

 その頬に触れると、智代が小さな声をあげた。

「何かあったのか、さっき」

「……いや。そういうわけじゃない」

「本当に?」

「ああ、本当に。ただまぁ、強いて言えば大事な友達とようやく和解できた、そんな感じだ」

 そう言って智代は笑った。俺の知ってる、俺の傍にある、俺の大好きな微笑だった。

 

 

 

 

「ふいー、終わったぁ」

「お疲れー」

「お疲れ様だ、朋也」

「おう、智代もな」

 がらんとした部屋に、四人で大の字になって寝転がった。全員の視線は、天井に向けられていた。

「……陽平」

「んー」

 杏の味気ない呼びかけに、気力なしの状態がすぐにわかる声で反応する春原。

「あんた、たまには遊びに来なさいよね」

「何それ。デートのお誘い」

「あはははは。やっぱあんた死にたいのね」

「ひぃぃいいいっ!何でそうなる」

「やめておけ、杏」

 そんなコントに智代が割り込んでいったので、おや、と思った。

「……何でよ」

 少し険のある声で杏が聞き返すが、智代がこともなげにさらりと答えた。

「血飛沫が四散すると、綺麗に拭き取るのが面倒だからな。さすがに今しばらくは掃除のことなど忘れていたい」

「智代ちゃんもひどいっすよねっ!!」

「あははは、それ、言えてるわね」

 三人分の笑いが響く、狭い部屋。

「みんなして僕を笑うためにここに呼ぶんですか!」

「いや、それはない」

「岡崎……」

「笑うだけじゃ気がすまないからな。いろいろと覚悟しとけよ、春原」

「一瞬でも友情らしいものを期待した僕が馬鹿でしたぁっ!!」

「馬鹿だなぁ、お前」

「実際に言われるとすっごくムカつくよっ!!」

「馬鹿だなぁお前」

「大事じゃないことを二回言わないでくれますかねぇ!!?」
 

 この時点で杏も智代も起き上がって俺達のバカバカトークに笑っていた。と、その時

「おい春原、てめぇ、そこにいるんだろ」

 ゴンゴン、と荒々しく誰かが部屋のドアをノックした。

「へっ、誰だい、そんなでかい口叩いて。怪我しても知らないぜ?」

「杏と智代の後ろで隠れてる時点でゼンゼン説得力ないのな、お前」

 ガチャリ、と扉が開いてやってきたのは、何と、と言おうか、やはり、と言おうか、とどのつまりはラグビー部の紳士諸君だった。

「ちょっと、あんた達何しに来たのよ」

「あ?藤林じゃねえか」

「今日はあんたに用があるわけじゃないんだ。できれば突っかからないで欲しいんだが」

「うん、しないわよ。ただ見てるだけ」

「杏っ?!」

 悲痛な叫びを上げる前に、ごつい野郎がひょい、と春原を肩に背負った。

「こ、これは拉致だぞっ!てめえっ、立派な犯罪者だぞ、わかってんのかっ」

「グダグダうるせえぞ」

「ひぃぃいいいいい」

 一括されて沈黙する春原。所詮ヘタレはヘタレということか。そう思っていると、春原は部屋から担ぎ出されてしまった。数秒の沈黙の後、俺達は無言で同時に立ち上がり、そして頷きあった。

 ラグビー部の連中と春原は、男子寮からそれほど離れていない川原にいた。春原を中心に、ラグビー部が円を囲んでいる感じだった。はっきり言ってやばい。多勢に無勢、しかも退路なし。

「智代、止めるなよ」

「お前こそ。私に愛想を尽かすなんてことはなしにしてくれ」

「はっ、そんなことは未来永劫ないさ」

「……馬鹿」

「智代」

「朋也」

「智代……」

「朋也……」

「そこでいちゃいちゃしてないで、始まったら即ダッシュ、あたしはここから援護射撃、いいわね」

「あ、ああ」

「おう」

 そして俺達三人は臨戦態勢に入った。喧嘩が起きれば、早く中に入って脱出口を開き、春原を連れて逃げ出す。

「くっそ、結局背中任されてるじゃん、俺」

 進級したての時の会話を思い出して、俺は苦笑いを顔に浮かべた。いっそのことざっくりいっちまおうかな、とか考えていると、智代が眉をひそめた。

「……妙だな」

「あ?」

「多勢に無勢、退路は絶ってある、そして恐らく体格差からして春原に勝ち目はないのに、何であいつらは仕掛けないんだ?」

「……」

 見ると、囲んだもののラグビー部は突っ立ったきり、ばつが悪そうにお互いを小突いたりしていた。喧嘩をするときの殺気も、確かに感じられない。と、その時

「春原ぁああああああっ!!」

「ひぃいいいっ!」

 意を決したかのようにラグビー部の主将が大声を上げた。身をすくませる春原。

「春原ぁああ」

「ひいっ」

 そして主将が駆け出す。そして春原を掴みあげる。

「てめえっ、春原っ」

「ひぃいいいいっ」

 

「負けんじゃねえぞ、うらぁっ!」

 

「ひぃっ!って、ほえ?」

「てめえっ!これから先、負けるんじゃねえぞっ!お前みたいに毎朝毎朝気色悪い音楽かけたり、馬鹿なことばっかりして俺達に刃向かってたのぁ、お前が初めてだっ」

「……」

「そんな俺達をさんざん手こずらせたんだ、勝手に社会に出てって勝手に負けたら、ゆるさねえからなっ!」

「……あんたら……」

「せいぜい頑張りやがれ、このド馬鹿野郎っ」

 その声をきっかけとして、他の部員も春原に走っていった。そしてぶつかる。

「てめえっ!春原っ!」

「へたばるんじゃねえぞっ!てめえ、ゴキブリみたいなんだからよ、ちったぁ生き残って見せろい」

「逃げ帰ってくるんじゃねえぞっ!あんなに手こずらせたお前がそう簡単に尻尾巻いて戻ってきたら、胸糞悪くなる」

「負けんじゃねえ、負けんじゃねえぞ、春原ぁっ!!」

 それぞれの思い(とそれの強さに比例した筋肉)をぶつけながら、ラグビー部の部員は笑っていた。そして、恐らく俺の見間違いじゃなければ、そんな圧倒的物量に翻弄され、もみくちゃにされながらも、春原も笑っていた。

「……とんだ茶番ね。つまんないの」

「少し無粋だったな」

 そう言う後ろの二人も、朗らかに笑っていた。それにつられて、俺も頬を緩め、思いきり笑った。

「じゃあ、行くか」

 俺が言うと、杏も智代も頷いた。確かに、これ以上春原とラグビー部の最後の時間を邪魔するのは無粋だろう。夕焼けに染まる空に目を細めながら、俺達は男子寮への道を辿っていた。

 

 川原では、まだ怒号に混じって笑い声が響いていた。

 

 

 

 

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